TEL0568-34-5787

午前9:00~13:00 午後15:00~19:00(木・日・祝 休診)

MENU

春日井市の歯医者 竹村歯科クリニックの院長・スタッフ紹介

春日井市の歯医者 竹村歯科クリニックの院長とスタッフ

目の前の患者様にとって、
最善策とは?を問い続け、
本当に望まれる治療を
提供していきます。

春日井市の歯医者 竹村歯科クリニックでは、さらなる技術向上を目指し、
日々、知識・技術習得に努めております。今できうる最適な治療を提供し、
地域の患者様にとって、信頼できる歯科医院を目指していきます。

院長紹介

竹村歯科クリニック 院長 竹村洋志

院長竹村 洋志

略歴
1991年
松本歯科大学 卒業
1991年4月
川崎医科大学 口腔外科入局
1994年
デンタルクリニック服部 勤務
1997年
アン歯科 勤務
2000年1月
春日井市にて開業
治療を通じて、これからの
患者様の豊かな生活を
守っていきたい。
はじめまして、春日井市味美白山町の竹村歯科クリニック院長 竹村 洋志です。

当医院では、治療を通じて、これからの患者さんの人生がより豊かなものになる様、今できる最大限の技術を提供していくことを大事にしております。過去、川崎医科大学口腔外科の勤務経験や個人歯科医院での勤務など、様々な歯科治療に携わってまいりましたが、一貫して歯を抜かない予防に力を入れた治療を行なって参りました。

歯は一度、削ってしまうと、元に戻ることはありません。患者様には、これからも歯の健康を維持した豊かな生活を送って頂ける様に、出来るだけ歯の寿命を伸ばせる治療を心掛けています。より安心して治療を受けて頂ける様に、しっかりとした治療説明もおこなっております。
患者様1人1人のこれからをしっかり見据えて、地域のかかりつけ医として、貢献していきたいと考えております。
まずは、お気軽にご相談下さい。

生い立ち

幼少 小学生のころ

小学生のころ 生まれも育ちも、現在医院を開業している春日井市で生をうけました。父は医師で、戦争を経験していることもあり、私が小中高校の頃は、ずっと口癖のように、「勉強はできなくても、体だけは鍛えろ」という言葉をずっと聞かされながら育ちました。

その影響もあり、小学校の頃から大学まで運動・スポーツには、人一倍取り組んでいたのを覚えています。
小学校では、父の勧めから、2年生から6年生まで剣道をはじめます。今思い出しても、全身全霊で取り組んでいたのを覚えています。
毎日練習に明け暮れ、クタクタになるまで、練習に打ち込み、おかげで細腕だった2年生の頃から、5年たった6年生の頃には、クラブで1,2位を争うぐらいの実力になっていました。

小学生のころ 当時は、その時代特有の先生の厳しさもあり、毎日のつらい練習をいかに乗り越えるかをただ考えていました。今思えばこの頃に、誰にも負けたくない・自分に甘えたくない・やりきりたい、という気持ちで、全力で取り組む大事さや多くの成功体験をつめていたのが、私の今の人間性に大きく影響を与えた体験だったと思っています。

また、小学4年生の時に、父の好きだったスキークラブにも入部をしました。そこでも絶対に1番になると宣言し、剣道同様に全力で取り組んでいました。
4年生で4位、5年生で3位。6年生では1位を取ろうとして、結果的に骨折までしてしまいましたが、今ではいい思い出になっています。

いい思い出 いい思い出

中学 高校時代

中学に入学しても、スキーに関しては愛知県の指定選手に選ばれ、人工スキー場の鳴子スキー場で夏も練習するなど、精力的に続けていました。しかし、中学1年で担任の先生や父から、将来の為に、スキーに打ち込むのか、勉強に打ち込むのかを選べと言われます。

もちろん、せっかく続けてきたスキーを続けていきたかった気持ちは強かったですが、将来の為と思い、そこからの中学生活は勉強だけに打ち込ます。今まで、運動に明け暮れていた為、放課後などは運動部の練習を陰から見ているだけで、好きなことができないことに我慢の連続でした。

高校時代 高校時代にかけても、勉強に打ち込むことにはなりますが、はじめの高校1年生の1年間については、親に許可をもらい、ずっと挑戦したかった野球に打ち込みます。

中学の反動からか、この頃の記憶といえば、正直、起きている時間はすべて野球に費やしていると言っても過言ではなかったかと思います。
この1年だけは、起きている間は、野球の練習・素振りをひたすら繰り返し、野球に夢中でした。
そこからの高校2,3年生は父との約束通り、中学同様に勉強にうちこみます。

高校時代 当初は、父と同じ医学部を志望し、努力をおしまず取り組みましたが、結果的には受験に失敗し、大学受験を1回浪人することになります。

それでも、諦めず何とか次の合格に向け、再度受験勉強に打ち込む毎日を送っていました。

大学時代

大学時代 はれて、歯学部の1年生となり、無事に大学生活がスタートしました。
そこからの6年間は、勉強もそうですが、まさに中学時代から溜まりにたまっていた挑戦意欲を爆発させる大学生活を過ごしたように思います。

具体的には、1年生から5年生にかけ、準硬式野球部に在籍。5年生の時には、当時のサントリー球場でホームランを放ったのが忘れられないほど、野球に明け暮れていました。ほかにも大学3年生の時には、野球部と並行してスキー部に入部。
一般のアマチュアからセミプロの選手も参加する長野県の爺ヶ岳の大会で10位入賞までいきます。

大学時代 大学時代

5~6年生にかけては、乗鞍ヒルクライムという自転車レースに参加して、1時間30分で登りました。
それと同時期には、ウィンドサーフィンにも挑戦。
諏訪湖に通い詰めるほど、ハマりにはまっていました。

歯学部に入学したはずなのに、ウィンドサーフィンとスキーの指導員になることを夢見るほど、のめり込んでいました。
ちなみに、当時使っていた機材は今でもすぐに組めるように手もとに残しています。
それだけ、思い入れも深く、今でもスキーには1人ででかけるほど熱は冷めていません。本当に充実していた大学生活でした。

ただ、そんな充実した大学生活の中でも、やはり運命的なものなのか、学生時代最後に、思い出したくもない辛い出来事が起こります。

それは、またしても、苦楽を共にした友人の死でした。6年生の12月。歯科医師国家試験の前にまたも、大切な友人を亡くしてしまったのです。彼も私の人生にとって、影響を与えてくれた大切な友人であり、心の支えでもありました。

そんな彼の死は、私に患者さんへの向き合い方、歯科医師として、さらに人間として、どんなスタンスを持てばよいのかを気づかせてくれるキッカケとなりました。高校生の時に教えられた椎尾 弁匡師の「時はいま、ところ足もと そのことに 打ち込むいのち 永遠(とわ)の御(み)いのち」とも重なり、今も私の中に息づいています。

勤務医時代

大学卒業を迎え、国家試験にも合格。私も勤務医として、歯科医師の第一歩を踏み出します。
友人の死もあり、人の生死にかかわる第一線に関わりたいと、勤務先に選んだのは、川崎医大の福田教授が在籍されていた口腔外科でした。

川崎医大では、いわゆる入院施設の医師と同じく、歯科医師であっても手術の術前、術後の管理も行っていました。
病棟には、ガンで亡くなる方も多く、最後まで寄り添う治療を学びました。
毎日、人の死を身近に感じるシビアな環境の中、日々鍛錬できたここでの経験は、私の歯科医師人生の中で、治療についての考え方・歯科医師としての在り方を学べた貴重な時間になっています。

勤務医時代 ガン患者の方とは触れ合う機会も多く、心のフォローも学びました。その中で、一期一会の大切さを気づかせて頂いたと思っています。もしかしたら、明日は意識がなくなるかもしれない、そんな環境の中で、今のこの瞬間の尊さを実感しながら毎日を過ごす様、努力することが大切であると学ばせて頂きました。

後々後悔の無いよう、今できる最大限のことをする、そんな考え方は、開業させて頂いている今でも日々大切に目の前の患者様と向き合うように過ごさせて頂いております。

川崎医大は3年勤め、その後、最新治療を学びたいと、当時、治療技術の高い医院や独自の治療体制で運営されていた医院で経験を積み、2000年に竹村歯科クリニックの開業を迎えます。

開業・患者さんへの思い

これまでの経験を経て、私が大事にしていることは、目の前の患者さんの為に、あらゆる手を尽くし、最善の結果を出すことだと思っています。

そのためには、どんなに難しい症例であっても、患者さんが望む限り、歯を残すことにこだわることが大事だと私は考えています。

開業・患者さんへの思い 状態の悪い歯でも、歯を抜く以外の選択肢にこだわるか否かで、長期的には、患者さんの生活の豊かさに、大きな違いが出てくると思っています。
しっかりと患者さんに現状を説明し、歯を抜かずに残す可能性にかけ、あらゆる手をつくして、歯を残すことを目指したいと考えています。

もちろん、抜いた方がいいケースや抜かざるを得ないケースもあります。
だた、変わらないのは、目の前の患者さんが何を望んでいて、その最善はなんなのか?を繰り返し考え、それに賛同して頂けたら、治療を施す。それが私の歯科治療に対する答えです。
これからもその信念を大切にして、地域の患者さんの為に、技術を磨き続ける所存です。

どうぞよろしくお願い致します。

スタッフ紹介

竹村歯科クリニックのスタッフ集合写真

患者様を笑顔でおむかえし、皆様のお口の健康を維持できるように、全力でつとめます。

pagetop